• Casa Watanabe

日川水制


建築認可に関する最後のトラブル、なのかな? 開発申請が審議にもかけてもらえない最後の要因に文化財の試掘調査が出てきました。 「出てきた」というのも変なのですが、我々の認識ではそんな感じ。

開発予定区域には、日川水制の右岸13番なるものが含まれておりました。勝沼ワイン村 は日川という河川の川辺に建設するのですが、日川水制とは、明治40年にその日川が大洪水を起こし、それに対応して当時政府の指示で作成された勝沼堰堤という防水施設に連なる堰の一群の呼称で、2008年に文化財指定を受けております。

一見、唯の畑に続く石畳の道ですが、実はこれが治水事業の成果の素晴らしい施設ということです。

詳しくない方のために少し説明します。(私も今回調べました。) 河川の治水施設としては、一般に知られたものとして堤防と堰があります。 堤防は河川に沿って高い壁を築いて水があふれないようにするもの。一方堰は河川からほぼ垂直方向に伸ばした壁であり、あふれた水の勢いを弱めて被害を食い止めるタイプですね。 古くは古代中国、禹はこの方法で黄河の治水に成功した功績で王になり、武田信玄もこの方法で甲斐の治水に成功し領民の支持を得ています。

で、この石畳がまさにそれ、堰の上面が見えているものなのです。 日川水制は右岸、左岸に30数個作られ、計74個あったようです。(一部は既に消滅しております。)

明治40年の洪水は近隣の村がいくつか消滅するかなりのレベルのものだったそうですが、これらの治水事業で洪水も収まり、流された土砂を使って堰の間を埋め戻し、立派な畑になったとのこと。その多くがぶどう畑になり、勝沼の歴史を語るになくてはならない遺構というわけです。

と言えば、当然そこの開発などあるわけないのですが、2006年に既に調査はされており、該当する日川水制右岸13番は河岸から約51m伸びているという報告になっているのです。実際の開発はそこから更に25m程度先のエリアから。日川水制そのものはワイン村の中庭部分に何もせずに保存の計画です。 昨年度の文化財課の担当者は、その調査を前提に、及び、その51mの終端の数m先には 馬用通路や用水路の跡もあり堰の延長があるとは考え難いから問題ないでしょ、との見解。(今から考えると、我々の立場を忖度して楽な方に倒そうとしていたのでしょう。でもそれは文書として残されていないわけです。)

それを真に受けて文化財のことなど全く気にしていなかった測量会社や幹事会社は何もせずに放置(更にその時同席していて、建築事務をお願いしようとしていたその手の事情に詳しい建築会社は予算の折り合いがつかずに辞退していたようです。)実際に開発申請の段になってルール通り文化財課にも届け出、4月の人事異動で担当は変わっているため、ごく普通に試掘の指示。2006年の調査は目視しか行っておらず掘ったわけではないので、51mから先の地下に埋もれた基部などがあるかもしれないとのこと。

そりゃ、ごもっとも。 ですが、これで本当に何か怪しいものが出れば本掘、その場合は念入りに調査するため、例え結果的に問題なしであったとしても、どの程度の時間がかかるか予測がつかない。そしてその結果が出ない限り、開発許可は下りない。

これは困った!

と、窮状を文化財課に訴えたところ現地確認に来てくれましたので、これ幸いと延長部分を掘り返して何もでないことを確認しました。やれやれです。

ちなみに、日川水制右岸13番のちょうど延長部分に作られるのが私のワイナリーです。

なんともまあ。狙ったわけではないのですけれどね。 本当に何か出れば、床を強化ガラスにして文化財の上に立つワイナリーとでもしゃれ込んで見ようかとも考えましたが、それまで私の貯えが持つかどうか?ですね。 やはり、何事もなくほっとしました。

(しかし右岸、左岸などと言っていると、まるでボルドー周辺の話でもしているみたいでなかなか笑えます。)

まあ、ワイン村オープン時には、看板等の何らかの説明をつけておきますので、皆さまも楽しんでご覧になってください。

案外、自分の周りにも何かそんなネタが埋もれているかもしれませんよ?


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